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心の内側をご覧いただこう

おじさんになったと感じる瞬間だった

今日は奥さんと少しお買い物をしてきた。途中小腹が空いたので、行ってみようと言っていた喫茶店でお腹を満たそうと思い行ってみることにした。なかなか純喫茶と呼ばれる場所が少なくなってきた世の中で、貴重な場所だと思って期待も高い場所だった。

 

行ってみると、中にいたお客さんのほとんどは若い女の子と若いカップル客がほとんどでキラキラした喋り声やカメラで人気の商品なのであろうパフェやクリームソーダを携帯で撮る音が鳴り響く空間であった。食べ物は美味しかったけど…けど何か違う。と感じずにはいられない空間だった。

 

何が違うと感じたのか

俺が高校生の頃に行った純喫茶とは、スーツを着たおじさんがタバコを吸いながらコーヒーと新聞を読んでいる場所であった。1日の疲れをわずかな時間でも静かな空間で、一人一息つくような場所だったように思う。(その中で俺は友達などと学校の宿題やらをやっていたように思う)

 

あまりにも自分の思う純喫茶の空間と違ったことに驚いた。

そこは若い子たちがエモさと日々の思いの丈をぶつけ合う空間だった。Instagramにあげる写真を撮るための空間だった。出されたパフェは思う存分、自分がいいと思う1枚が撮れるまで手をつけられることはなく。

もはや純喫茶はスーツを着たおじさんが出先であったこと、職場での出来事をコーヒーを飲みながら受け止める空間ではなくなっていた。

そんなおじさんたちを見て、俺も頑張ろうと思っていた昔の自分の気持ちとは違う何かを得るための空間に今はなったのだろう。

 

こんな時代だからこそ友達と面と向かって自らのエモさを追い求め、感情を吐き出す空間になった純喫茶は俺の期待という期待をことごとく砕いていった。

 

その時奥さんと話しながら、気づいたことがある。もはや我々の純喫茶に対する価値観は変わったのだと。昔のイメージでしか物事を捉えられなくなってしまった、己の狭量さに悲しみを抱いた。

社会の悲喜交々を一杯のコーヒーと煙たいタバコに込めて飲み込み、一人この後も頑張ろうと思うスーツのおじさんの姿に胸を打たれていたあの頃の自分の気持ちはもはや過去の産物に変わってしまったのだと思い悲しみを抱いた。

 

過去に生きるのではなく、未来を向いて生きていかなければいけない。そう思った日であった。

 

帰り際にみた、コーヒーチケット10枚4400円に昔の自分を置いてきた。

 

岡崎体育 - おっさん / THE FIRST TAKE - YouTube